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札幌高等裁判所 昭和35年(う)370号 判決

控訴人 被告人 古野豊

弁護人 海老名利一

検察官 竹平光明

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人海老名利一及び被告人各提出の控訴趣意書記載のとおり(いずれも事実誤認)であるから、これを引用する。

各控訴趣意中原判示第一の(一)の事実に関する部分について。

古物営業法施行規則第二一条第一項は「古物商が法第一六条の規定による確認をするには、直接にその相手方の住所、氏名を確かめ、又は身分証明書、主要食糧購入通帳、家庭用品購入通帳、定期乗車券等その相手方の住所、氏名、職業、年令を確かめるに足りるものの呈示を受けなければならない。」と定めているのであるが、この規定は古物営業法第一六条により古物商の義務とされる住所、氏名等の確認の方法を定めたものであるから、ここに「直接に相手方の住所、氏名を確かめる」というのは、それが後段の身分証明書等の呈示を受ける方法の補充的手段ではなく、独立の確認方法として規定されていることにも徴し、古物商がみずから相手方の住所又は勤務先におもむいて本人の言う住所、氏名が間違いないかどうかを確かめるなど、身分証明書等の呈示を受けるのと少なくとも同等以上の確実性のある手段で確かめることをいい、従つて身分証明書等の呈示を受けない場合には単に相手方に住所、氏名を問いただすだけでは足りないと解すべきである。原判決挙示の右事実関係の証拠によると、被告人は本件腕時計二個の買受けに際し、相手方の川井一省に対し住所、氏名を尋ねてこれを記載させ(同人は中村一省という偽名を用い、住所も違つていた)、同人の住所が夕張市平和三区だというので、たまたま夕張市出身であつた被告人の妻ミチ子が同市の事情を尋ねて見たところ同人はよく知つていたので、同市の者に相違ないと思つたというにとどまり、他に確実な確認の手段を講じたことは認められず、また年令は全然確認していないことが認められる。もつとも、同日夕刻被告人が川井の止宿しているという旅館に赴き、その女主人に尋ねて川井がそこに滞在していることを確かめたことはうかがわれるが、これは本件買受けの後の原判示第二の(一)の買受けの際であつたことが認められるし、その点をしばらくおいても、人が一時的に滞在するにすぎない旅館の主人に尋ねただけでは、前記規定による確認の義務を尽くしたものとはいえない。まして本件においては川井が家出中の少年であることが推測されたものと認められるから、なおさら十分な確認の手段を講ずる必要があつたといわなければならない。従つて、原判決に所論のような事実誤認又は法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

各控訴趣意中その余の部分について。

原判決挙示の関係証拠を総合して認められる被告人は古物商として約五年の経験があり、賍物故買罪又は古物営業法違反で処罰されたことが三回あること、原判示第二の(一)の買受けに際し相手方の川井は旅館に泊つており、家を出て来るとき親の物を持つて来たと述べていたこと、川井が原判示第一の(一)の際高級腕時計二個を安く売つていながら、引き続き原判示のように電池時計、レコードプレヤー、腕時計、新品万年筆一七本など少年の所有物とは思われないような物を次々に売りに来たこと、被告人がこれらを安く値切つて買つていることなど諸般の情況に照らすと、被告人は原判示第二の各買受けに際し、少なくとも当該の品が盗品であるかも知れないとの認識を有していたものと推認するに足り、右事実にかんがみると被告人の司法警察員に対する盗品だと感じた旨の供述も任意性のあるものと認められる。また、右の事実によれば原判示第一の(二)の所定の台帳に記載しなかつた所為も、単なるつけ落しではなく、故意に記載しなかつたものと推認される(証第一号の古物台帳によると、その後の万年筆のときは記載しているので一見つけ落しのようであるが、万年筆についても本数は記載されておらず、また川井の年令は一度も記載されていない。)。その他記録をよく調べてみても、原判決に所論のような事実誤認のあることは認められない。論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法第三九六条により本件控訴を棄却すべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 矢部孝 裁判官 中村義正 裁判官 小野慶二)

被告人の控訴趣意

私は賍物故売及び古物営業法違反被告事件に付き昭和三十五年十一月十四日控訴しましたのでこの趣意書を以て事件当時の模様を詳しく申し上げます。第一回七月二十三日の買入事実品名男物オメガ腕時計一点女物シチズン腕時計一点を買入れた時の状況 私が丁度晩酌をして居る時でしたから六時か六時半頃だと思ひます。人相風態五尺三寸~四寸位丸顔赤ら顔頭髪一寸五分二十一、二才位で黒背広上下を着用一見会社員風の人が私の店へ来て前記の腕時計二個を買取つてくれませんかと言つて来たので私は妻に客の持つて来た腕時計を私のところに持つてくる様に言いました。妻はその腕時計を客より預り私のところに持つて来ました。見ると、男物腕時計はステンレス色の厚味の有る十三型位の型で有りあまり型としては新しい物では無いと思ひました。その時計の名前は外国語で書いて有り自分では読む事は出来ませんでした。もう一つの女物は長方形で有り金色をしておりこれは文字盤にローマ字でシチズンと書いて有つたのです。これは自分にも読む事が出来ました。その二個の腕時計を私は妻より受取り裏ふたを外して機械を見ました。これは時計などを買取る時に必ずと言つて良いほどあけて見るのですがしかし開けたからと言つて自分には機械の故障などその他見分ける事は出来ませんが、これは客に対しての一種のハツタリのためです。私は客の待つて居る店の方へ行きこの腕時計二個とも売りたいのですかと聞くと客は女と二人で夕張から札幌へ出て来たが旅館代やその他にも困つて居るし売りたいのです。もちろん男物は自分ので有り女物は一緒に泊つて居る俺の女の物で有るがどうしても売らなければ今言つた様な訳で金もいるので買つて下さいと言ふので客にいくら位で二個の腕時計を売りたいのかと聞くと二個で五千円位の金が必要で有ると言ふので私は二個で五千円位で有れば古物商としての相場ではないかと思つて買取る事に客と話を決めました。そして私は妻に小さな声で私のところに五千円を持つて来る様に言ふと妻は今日色々の支払にお金をつかいお金が足りないと私に言ふので私も困つたなと思いましたが、突差的に今家に金の持合せが無いので売つて来てあげるからこの品物を二、三十分私に貸してくれませんかと言ふとそれではこの品物をおいて行きますそして二、三十分後にお金を取りに来ますからお願いしますと言つて帰りました。今迄の例で有りますともし客が盗品を持つて売りに来た時などは品物を私に預けて行く事等一度も有りませんでした。と言ふ事は品物をおいて行つて金を取りに来た時に警察の人が来て居るのではないかと言ふ心配などから前記の様に売つて来てあげる品物をおいて行きなさいと言つても品物は持つて帰ります。その様な点から言つてもこのお客さんは品物の売却方を頼んで行きましたので私も安心して居りました。私は客の帰つた後すぐ金策のため家より約二丁程はなれた知人の川村さんと言ふ人の家に行き一寸商売に使ふ金だと言つてお金を借りて来ました。すると間もなく前記の客が来ましたので客に身分証明書をお持ちですかと聞くと客は先程も言つた様に夕張から出て来たのでその様な証明書の持合せは有りません。又夕張から出て来る時にこの様に品物を売ろう等と考へても居なかつたので、尚更その様な証明を持つて来なかつたと言ふので私は困つたなと思いましたが丁度妻が夕張の出身のため客に夕張の事を詳しく聞かせました。客のその答には間違いなく本当に夕張の住人で有ると思ふと妻も言いました。夕張の街形や一寸した家の名前とか又その家が何丁目に有るか等も全部正確に知つて居りました。私は客も困つて居る事であろうし又これだけ夕張の事を知つて居れば客の言ふ住所も間違いないものであると思い客を信用し客に自筆で住所氏名年令を書かせ右手人差指で栂印を押しました。もし間違が有つた場合においても栂印を押しておけば警察の協力に役立つと思いました。住所夕張市(古物台帳を押収されて居りますので現在解りません)氏名中村一省二十才と書いたので信用して四千五百円の代金を支払いました。この四千五百円と言ふ代金は私は先程の品物はもう売却して来たが五千円しか売れなかつたので五百円の手数料を頂きますと言つて五百円を値切つたのです。実際はその品物は売却しないで金を知人より借りて来たので有ります。私はこの買上げた事実についても所定の古物台帳に記載致しました。第二の事実 七月二十三日ナシヨナル電池柱時計一点ポータブルプレーヤ一点前記の中村一省が又午後八時頃と記憶しますが私の店に来て先程はどうもと言つてお宅で柱時計やプレーヤを買つてくれないかと言つて来たので私は買いますがお客さんは先程旅館に泊つて居ると言つて居りましたがどこに泊つて居るのですかと聞くと電車通りの松屋旅館に泊つて居ります。私はなぜその様な事を聞いたかと言ふとやはり現在札幌に居ると言ふ事を聞いたから実際客の言ふその旅館に泊つて居ると言ふ二つの事実を知つておこうと思つて聞きました。客はそれではその品物を持つて来るのでお願いしますと言つて出て行きました。私は現在所の確認のためにその中村一省の出て行つた後をついて行きました。すると中村は先程私に言つた通りに電車通りの松屋旅館に入つて行きましたので私も中村がうそを言つていないので安心しました。私はその旅館の女将さんとは顔見知りで有るので私もその旅館に入り今入つて居つたお客さんはお宅に長い間泊つて居るのかいと聞くとここ暫らく泊つて居る人で有ると言い何かあつたのかいと女将さんが聞くので今の人が私の所に品物を売りに来たのですと言ふと何か色々な物を持つて居る人だから買つてあげれば良いでせうと言ふ様な話をして居ると中村一省が品物を持つて室から出て来ましたので女将との話はそこで打切り中村一省と一緒に私の家に戻つて来ました。私は家に着き中村を茶の間に上げてレコードプレーヤのテストをしました。プレーヤはどこも故障は無い様でした。柱時計の方も多分なんでも無いと思ひました。客にこれをどうして売却するのですかと聞くと夕張から出て来る時家から持つて来たのですがたしかその時父か兄からもらつた様な事を言つて居りましたと私も妻も記憶して居ります。それでせつかく兄にもらつた物を売却するのだなと思つたがやはりお金が必要だと思いましたので私は二千五百円で両方を買取りますと言ふと中村もお願ひしますと言ふのでその時現金二千五百円を支払いました。私はその電池柱時計一点とレコードプレーヤを所定の古物台帳に記入しました。

第三の事実 七月二十五日男物腕時計一点、前記の中村一省は午前八時頃と記憶しますが私は未だ床に入つて寝て居る時の事で有りますが妻が朝食の用意をして居た時で有ります中村が腕時計を買つてくれませんかと言つて来たと言つて妻は私の寝て居るところに腕時計を持つて来ました。私は妻の持つて来た腕時計を見るとあまり良い品物で無いと思いました。妻もその時こんな悪い時計を買つても売れないのではないかと心配して居りました。私はその時計を布団の中で見ると十三型位の大きさの時計と見ました。文字盤も私の見た事の無い様な英語を書いて有り読む事も出来ませんでした。私は一千円で買つておけば大丈夫だと言つて品物を妻に戻し又寝てしまいました。約一時間位して朝食の用意が出来たと言ふので起きて見ると先程見た腕時計が机の上に上つていたので先程の時計を買つたのかと聞くと妻は一千円で買つておきましたと言つて居りました。妻が言ふにはその時中村一省に貴男は男物腕時計はこれで二つ目で有るがどうしたのですかと聞くとこれは友達ので有るが売却方を頼まれて売りに来たのだ本当は一千三百円位に買つてくれれば俺も三百円位頭はねして儲かるので有るが仕方が無いと言つて居たと妻は私に言いました。私はその日妻子を連れて一日の行楽のため札幌月寒の競輪場に遊びに行き帰つて来て見ると朝、腕にして行つた時計を落したのに気が付きました。私はこの腕時計を妻が買入れたので台帳の記戴の方も妻が記戴してくれたものと思い古物台帳も見ないでそのまま忘れて居りこの度夕張警察署に出頭の際台帳を持つて行き警察の方にその腕時計が記戴もれして居る事を知らされ初めて私はその時の時計が記載落して居る事を知りました。

第四の事実 七月三十日万年筆、私はこの日早くより店を妻に預け自転車に乗つて商売に出掛けて居りました。丁度十時半頃に帰宅したと記憶して居りますが家に入ると妻が九時頃だと思いますが中村一省が来て万年筆を買つてくれませんかと来ましたが主人が居ないので値段もわからないと言ふと、今日夕張から来たがお金を持つて出て来たので丁度大道で安い腕時計を売つていたので買つて見たが後で中を開けてもらふと機械が入つて居らず中味はキルクで一見したところは文字盤も針もついて居り時計屋で中を開けてもらふまでこの様なインチキ物とは知らなかつた。この時計と一緒に万年筆を買つたのだがこれも安いし友達に分けてやつても、又、一本一本売つても儲かると思つて買つて来たが今日は、この様に時計でだまされ頭に来た。この万年筆だつてインチキ物かも解らないが兎角損したついでにこの万年筆を、ここで多少安くとも買つてもらふと思つて来たが父さんが居ないので又後で来ると言つてその万年筆をしまいそのだまされた女物腕時計を、玄関のふみ石の上になげて帰りました、と妻は私に言つて居りました。私はやはり田舎から出て来た人はその様な結局大道商人にだまされて今でもこの様な人が居るのだなあと思つて居りました。私は約一時間後の十一時三十分頃、又自転車で用事を足しに行こうと思い家を出て隣二、三軒先まで行くと丁度中村一省に会いました。中村は先程店に行きましたら父さんが居なかつたので万年筆の値段が奥さんは解らないと言つたので一回持つて帰り又来たのですが、この万年筆を買つてくれませんかと箱に入つた十七本位の万年筆を私に差出しました。私は先程その万年筆の事を妻から聞いて居るのですぐ解りました。あまり良い万年筆では無いのでいくらでこの万年筆を売りたいのですかと聞くと一千円位で買つてほしいと中村は言ふので私は一千円なら買へないから、どこか別の店に持つて行きなさいと言ふと、そしたらいくら位なら買つてくれるかと中村は言ふので私はあまり買いたくないが八百円位なら買いますと言ふと、仕方が無い損したついでであるしその値段でお願い致しますと言ふ話をして居る時に妻が市場から買物帰りをつかまへて中村に八百円をやる旨を伝へて私はそこで中村と別れました。私は用事をおへて家に帰ると妻は八百円を渡し中村より万年筆を買取つて有る事を知らされました。私はこの万年筆を所定の古物台帳に記載しました。前記の通り買入れた事実の点を相違なく申し上げましたが、私は夕張警察署に出頭を命ぜられましたので、私が出頭し刑事室に通され広島刑事に合はされました。刑事は一番先に品物を持つて来たかと言はれましたので私は売却してその品物が現在手許に無いので持つて来ませんでしたと言ふと、一寸待つてくれと言つて広島刑事は私の座つて居る向ひの机から立起つてどこかへ行き暫時私を一人にして居なくなりました。広島刑事が机の所に戻つて来て君はその品物が盗品で有ると言ふ情を知つて買取つたのだろうと言ふので、私は、まつたくその様な事は知らずに買取りましたと言つて七月二十三日第一回の事実の通り申し上げました。すると広島刑事は私に逮捕状を見せ逮捕する旨を伝へました。そうして向ひ側の机に座つて居る刑事の人に部長さん弁録を取つて下さいと言ひ私にその部長刑事の前に行く様に言はれました。私は又その時部長刑事に七月二十三日第一回の事実を申し上げたら、その部長は君はその様に否認して居ると非常に不利で有ると私に言ひました。しかし私はやはりその時の事実は事実として申し上げなければならないと思つて正直に申し上げました。そして七月二十三日第二回の事実を申し上げると貴男は言ふ事言ふ事が全部否認して言ふのではないか、この様な君の事件は君が情を知つて買つたと言へば簡単な事件なのであるし、君も聞くところによると、身体の具合もあまり良くないと言ふ事で有るし又、家に少さな子供と奥さんをおいて来た事でもあろうし、認めればすぐにも帰宅される事も出来るので有るから君もその方が良いのではないかと逮捕状を執行された後に言はれましたので、私ももちろん逮捕状を執行すると言ふ事を聞いた時にはやはり一番先に家庭の事子供の事を考へましたので、部長さんがなんでも無いこの様な事は早く認めてしまへば帰してやると言はれた時には私の心境としては丁度、溺れる者はわらをもつかむと言ふ諺の通り私が拘留されればもちろん妻子は生活に困る事は目に見へて居るので、そめ様な簡単な事で有れば警察の言ふ通りに事件を認めてしまおうと心にも無い自供をして帰宅させてもらおうと思つたのです。その日は遅くもなつたのか又は警察の都合でか供述調書をそれで一旦やめにして未だ事件の事が残つて居るので、今日は帰れないと言はれ刑事室より約半丁位はなれた所に連れて行かれました。そこは留置所で有りました。翌日又駒谷部長が私を連れに来たので私は道々今日中に調書も終るので帰宅させて頂けないかと聞くと、君の事件は簡単なのだから今日中に全部取調べは終ると言ふので私は刑事室に入る玄関先で、何とか今日帰れる様に課長さんに頼んで下さい。警察拘留時間は四十八時間と聞いて居るのでその間に何とかお願ひしますと言ふと、それは君次第で有る。君は簡単な事を否認すると今日中に出れないかも知らない。とにかく早く認めてしまへば私も課長さんにその釈放の旨を頼んであげるからと言つてくれました。その日は七月二十五、三十日の第三の事実に付いて申し上げ様としました。私は自分の思つて居る通りいくら話を仕様、真実を申し上げ様としても駒谷部長はその品物を買ふ時盗品で有ると言ふ事を知らないで買つたはずは無い誰れが聞いても君が言つて居る事を信用するか、泥棒した男も言つて居た。あそこの店では盗品で有るとの事を知りながら買つてくれた様な事を言つて居るのだ。今更君がこの様に否認をすれば君自身が損で有る。どうしてもその様に否認をするので有れば簡単に帰す事は出来ない。何時までも留置所に入れておいてやる。この一番先の男物の時計なんかは検事(判事と言つたかも知れない)の親せきの人が盗まれた品物で有る。こんな事を(全部の事件について)否認して居ると検事にも相当怒られるぞと言ふので私はやはり一日も早く帰宅出来る事を願つて居たので警察の言ふ通りに認めてしまへば一日も早く出来れば先程駒谷刑事が言つてくれた様に、今日中に帰してくれるものと思つて客はこの品物は盗んで来た物で有ると言ふ事は一度も私に言ひませんでしたけれど、私はその時、本人が盗んで来なくとも誰れかが盗んで来た物を預かつて売りに来たのではないかと推察しましたと、帰りたいばかりに心にも無い申し立を致しました。全部調書が終つたので有るし又私も盗品の情を知つて買取つたと認めたので駒谷部長も私を帰してくれるものと思ひましたが、帰宅させてくれず最後に今日後で課長さんに頼んであげると言つて又そのまま私は留置所に入れられました。翌日になつても釈放してくれず、駒谷部長に上手にだまされたと思ひました。もちろん私は昭和三十四年に自分の利欲から賍物故買の間違ひを起し裁判長より今後、この様な間違ひを再び起さない様にと、こんこんと説諭されそして懲役一年の刑に対して三年間の執行猶予と言ふ恩典を与へられ自分としては妻子有る身として、二度とこの様な間違を起さない様に心に誓つて不審と思はれる物に対しては、古物台帳を調べに来る刑事の人や又警察に電話連絡などして犯罪の予防に協力して来たので有ります。今年一月にテレビ四台ステレオ等売込みに来た時にも中央署に連絡し又、六月頃にも皮靴数十足の売込みに来た時にも、もちろん警察に連絡し協力して来ました。その外スクーターや自転車等、細かい物等も連絡し二度と間違の起きない様にと思つて居りました。今回の事件に対しても若し盗品と知ればこの様に連絡した事は間違ひ有りません。又盗品と知つて買へば警察の人に見せる古物台帳に記載しなかつたかも知れません。この様にして今度の中村一省より買受けた物は本当に盗品で有ると言ふ事は思つた事もなく自分では知る事も出来なかつた。又確認の点についても本人の筆跡栂印を押して頂いて居りその時の住所の点についても旅館まで行つて調べて来てますので、自分としてはたしかめられる丈たしかめたと思つて居ります。又中村一省は私の家に来た時は黒背広上下を着ており頭髪ものばして居り一見勤め人風で二十一、二才に見へました。中村も私は丸通に勤めて居ると私に言つて居りました。右の通り今度の事件に対して趣意書を以つて相違なく申し上げましたので、何卒特別の御審議を以つて御寛大なる御処置を賜り度く御願ひ申し上げます。

弁護人海老名利一の控訴趣意

第一判示第一の(一)に付いて事実誤認がある。

被告人の検察官に対する供述、証人古野ミチ子及び川井一省の各証言に依るも住所氏名職業及年令を確認して居るものである。之に反する証拠が本件記録上存在して居ない。古物営業法施行規則第二十二条は確認の方法を示して居るもので之に反した方法以外には認められないと云うかと左様でないのである。被告人は右規則に依る確認が出来ないので被告人の宿について調査して居るものである。若しも誤ちを犯す場合には適当な処置を取ると考えて居たものである。被告人としては同法及規則に違反するとの考えは少しもなかつたものである、之の点を看過して認定して居るのは違法である。

第二判示第二ノ(一)乃至(三)に付いて賍物の認識についてその認識があつたと判示して居る。

(一) 賍物認識の認定は被告人の検察官及警察官に対する供述書等により認めて居るものである。右供述書は被告人の真意に出たものでなく被告人提出の控訴趣意書中に記載して居るが如き理由に基くもので即ち警察官の誘導及詐術に依り虚偽の自白を為したものである。

(二) 被告人は賍物故買罪に依り前科二犯でありその為同罪を再度犯さない様に注意して居たものである。それ故に本件に於て認定された賍物の認識は次の様な理由でなかつたのである。即ち誤つて賍物を買受けたに過ぎないものである。(イ) 判示第二ノ(一)認定は物を買受けに当り万一賍物であつたならばと心配して川井一省が宿泊して居る豊平の松屋旅館を訪ね同旅館の女将に面会して同人の様子を調査し疑わしき点ないと確信して買受けて居るものである。右は検察官及警察官に対する被告人の各供述調書に記載がある。(ロ) 被告人は判示第二ノ(一)及(三)は古物の売捌所に於て販売しそれに依り普通の利益を挙げて居る。これは被告人が賍物であるの情を知らずに通常の買入価格で買受けて居る証拠である。特に買受けた事実を古物営業法に基く帳簿に記載して居るものである。賍物であることを知り乍ら買受ければ帳簿に記載しないのが通常である。この点よりしても認識のなかつた事は明らかである。(ハ) 被告人が判示の物件が賍物であるか否やに付いては充分調査して居る。被告人の妻が川井の身元に付いて詳細に聴いて居るのである。証人古野ミチ子の検察官及警察官に対する各供述に依り明らかである。(ニ) 被告人は常日頃窃盗犯の検挙に協力して居たものでそれ故に賍物と思われる様な品物を買わずそれらしき物があるときには直ちに札幌中央警察署に大小合わせて数回に及んで報告して居るものでこのことは被告人の供述書中に記載されて居る。依つて前述の様な事情よりして賍物の認識がなかつたことは疑いを入れないものである。

(三) 判示第二ノ(一)に付き被告人は証人川井が父親のものを持出して来たものを売りに来たかの如く供述して居るがこれを以つて直ちに賍物と認定するには不充分である。父親が持出しを認めて居る場合には処分を考えて居ることもあるのでこの場合には賍物と認めることは困難である。斯様な点を吟味して居らぬのである。

以上の点を看過した原判決は違法であるので破棄を免れないものである。

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